よくある28歳のブログ

旅と読書が好きな28歳のブログです。
会社勤め:投資とSOHO=7:3くらいの収入割合で働いています。

旅日記 タイ篇②

バンコクの3大寺院

タイ2日目の朝。
とりあえず観光に来たのだから有名な観光地だけでも見ておこうとそう思った。



・ワット=アルン【料金/50B】
(Temple of Dawn วัดอรุณราชวราราม ราชวรมหาวิหาร



・ワット=プラケオ【入場料/500バーツ】
(Temple of the Emerald Buddha วัดพระแก้ว)
*写真紛失の為、当イメージはwikipediaより借用



・ワット=ポー【入場料/200バーツ】
Watpo Thai Traditional Massage School วัดโพธิ์)


以上のバンコク3大寺院と呼ばれる観光地を巡り歩いた。
ゲストハウスに置いてあった地図を片手に、何となくの感覚であたりをつけて、適当に歩き回った。
最短経路で目的地まで行く必要はない。
迷って時間がなくなったら、いつかまたもう一回来るための口実ができたと喜んでもいいくらいに考えていた。
しかし安心のために、可能であればネットで軽くアクセス情報を見ておくのもいいだろう。
下記サイトがとても分かりやすい。

バンコク三大寺院への行き方。ワット・プラケオ、ワット・アルン、ワット・ポー。 | 【結論】タイ一択。


さて特に問題なく3大寺院を一人で見て回ることもできて、夜になった。
外国の街で目的をもって行動し、そしてそれが上手くいったことで僕は少し油断していたのだろう。
この旅最大の失態をここで犯すことになる。

奇妙な友人たち

カオサンの宿の近くで夕食を済ませると、一番賑わっているところを見てみたいと僕は思った。
そういうことで、ダンスクラブやミュージックバーに臆面もなく一人で入場して、2,3杯飲んではしごしていく。
圧倒的にWesternの観光客が多い。それに田舎から観光に来ているタイ人。或いは隣国からの出稼ぎ労働者。僕が今回知り合ったのは、そんな人たちだった。
ORNはアユタヤの大学に通うタイの女の子で、バンコクの大学に通う友人とダンスフロアにいるところを僕から声をかけて知り合いになった。
後日のアユタヤ観光を始め、その後の旅でも彼女とは縁あって交友関係が続くことになるのだが、今は敢えて詳細は述べないでおく。
青い目のVictoriaはロシアの24歳の女の子だった。
彼女のことについて語る前に、マレーシアから出稼ぎにきたという名前も知らない仮名Xという男のことを、一夜限りの僕の友人のことを紹介させてほしい。


はしご酒の合間に迷い込んだタイマッサージの店を出て少し酔いから覚めていた僕は、それでもまた夜のカオサンの喧騒の中に飛び込んでいた。


「It's very crowded(ひどく混んでるね)


 Khaosan has changed.(カオサンは変わっちゃったよ)


 Now,Khaosan completely belongs to the Westerns(いまやカオサンはすっかり西洋人のものさ)」


Xは或いは独り言を言っていただけだったのかもしれない。
しかし人混みの中、僕と目が合ったXは続けた。


「Come on.Shall we drink beers?(よし。ビールを飲もうじゃないか)


  You don't have to pay.I pay for yours.(君はお金を払わなくていい。俺が出すよ)」


そしてXは手際よく露店で2本の瓶ビールを買ってきた。僕たちは乾杯した。
それまで僕が一人で回っていた店を、今度はXと二人で再び訪ねて行った。
xは、南国ならどこにでもいそうな浅黒の彫の深い顔立ちで、服装はブルージーンズにTシャツと白地のキャップ帽で、少し傷んだNikeのスニーカーを履いていた。
そんなありふれた十人並みの外見からは想像もつかないくらい英語が上手で、言葉が巧みで、なによりも女性の心をつかむのが上手かった。
あっという間にヴァカンスに来ていたというロシアの女の子2人をバーから連れ出して、僕たちは4人で、カオサンから少し離れたところにあるブランド物の偽物が並ぶ露店の通りを、Xのホテルがあるという場所へ向かって川沿いに歩いていた。


「You know,I can be your teacher about girl hunting,traveling,and everything.
(俺は君に女の子の口説き方や旅のこと、何でも教えてあげられる先生になれるってわけさ)


You show me your wallet? Hey,why you stuff your all money in just one place?
(財布を見せてみなよ。おい、何だって有り金全部をひとまとめにしておくんだ)


This is the veteran tripper's way of keeping money safely.
(歴戦の旅人はお金を守るのにこうやってるのさ)」


そう言うとXは僕の財布の中の紙幣を全て抜き出して、それを三つに分けた束を指で挟んで持ったまま、輪ゴムでそれらひとつひとつをまとめて下の写真のような形にした。



「No.1,is here.  No.2,here. Three,yours.  Perfect!!!」
彼は僕のリュックのポケットの別々のところ2箇所のチャックを開けるとそれぞれに紙幣の束を入れた。
3つ目の束は僕に向かって差し出されて、僕はそれをジーンズのポケットにしまった。
そしてリュックの中にはどこにも紙幣が入っていないことに僕が気が付くのは翌朝のことになるのだった。
冷静に考えてみればあまりに直接的で単純すぎる手口だ。
自分を弁護しきれはしないが、僕の貧しい英語力で、英語が母語でないロシアの女の子を何とか楽しませようとするのにあの時は必死だったのだ。


さて、その夜の物語は、Xと二人組のロシアの女の子の片割れが一緒にどこかへ消えてしまったことによって必然的に、残された片割れの女の子と僕が、その舞台で一番照明のあたるところを引き受けながら進行していくことになる。


旅日記 タイ篇①

旅の思い出です!!!
でも少々古い思い出なので情報が正確でなかったり、写真が消失してしまって少ないこと等を予め断っておく。
期間: 2013年3月25日~4月3日頃
現地での予算:10万円
全行程:成田→バンコク→カンチャナブリ→バンコク→アユタヤ→バンコク→パタヤ→バンコク→成田

上のざっくりした地図の通り、バンコクを拠点に3都市を見て回った。


初海外

初めての海外旅行だったのでツアーに申し込むことも考えたが、寝坊とか遅刻とか寝坊とか寝坊とかしてアテンダントや他のお客さんに迷惑をかけてはいけないと思い、HISで往復の航空券だけとってあとはその日その場でどうするかを考えていくことにした。
とりあえず入国カードの書き方も分からず、滞在先の住所を書く欄を埋めるために入管の前でスマホを取り出して宿の予約をしようとして厳重に注意される、そんな幸先の良い旅の始まりだった。

バックパッカーの聖地へ

スワンナプーム国際空港で最低限のタイバーツを両替してからエアポートリンクに乗って適当にぶらり途中下車。


そこから神保町で買ったDACOの路線図を頼りに市内を一日中うろうろ。


そしてようやく目的地のカオサンロードにたどり着いた時にはもう夜になっていた。

やっぱり行き当たりばったりは良くない。
空港→カオサンへのアクセスについては下記サイトが詳しく丁寧にまとめてあるので参照されたし。


そんなこんなで腹が減ったので屋台で名物パッタイを頼んだ。
麺の太さや具材等を好みで選べたみたいだったが、その時は迷子して疲れていて、何を聞かれているのかよく分からなかったのでとりあえずYES!YES!と答えておいた。
でも美味しかったですよ。

① バミー(บะหมี่) 小麦でできた中華麺。チャーシューや焼きアヒルなどといっしょに食べることが多い。

② センヤイ ドロドロの米の汁をシート状に蒸し、1~3cmの幅に切った生麺。

③ センレック センヤイと同じように作るが、幅1mmくらいに切り、乾麺にする。パッタイ(ผัดไทย)に使用。

④ センミー 日本人にもなじみのあるビーフンのこと。切って作るのではなく、スパゲッティのように生地を押し出して作る。

⑤ ウンセン 緑豆でできた麺、いわゆる春雨のことです。人気タイ料理の一つ、ヤムウンセン(春雨のサラダ)はこのウンセンを使用しているほか、クイティアオルア(ボートヌードル)やスープにもよく使用されます。

タイ料理で用いられる麺はバラエティー豊かだ。




その後、1泊あたり250THB程の宿をカオサンのすぐ近くにとって特に何もすることなく就寝。






読書録③ ヘッセ 「シッダールタ」


 この本を初めて読んだ時、僕は22歳で、今更そう言ってしまうと空しいようだけれど、はっきりと僕は「恋」をしていた。
それは空の太陽のように燦然と世界の万物を照らし出すような恋ではなく、何かの化学反応によって地上に生まれた、妖しく謎めいた青い燃え上がりに似ていた。
自然のあるがままに慣れ合うのでなく、お互いに強くあろうと、自立した個人であろうと、その恋にはそういう風に、最初からどこか無理なところがあったように思う。
それでも不安な時間がやってきたら、僕と恋人は多くを語らず互いに体を求めた。
精神的な繋がりだけでは男と女は一緒にはいられない。
そういうことでは意見が一致していた。
他にも考え方のよく似た二人だったが、決定的に意見の違っていることがあった。
あの頃の僕はまだ言葉の力を信じていた。
言葉による表現は、一切を包み込む。そう考えていた。
一方で、それは幻想だと恋人は言った。
言葉は、それだけでは独立した力は何も持たない。
常に補完・補足の必要な、世界を模倣するための手段でしかないとあなたは言いました。


 今になって『シッダールタ』を読み返すと、バラモンの子シッダールタが悟りに至るまでのその表面的な物語の膜の下に、言葉による表現を以て言葉による表現とその価値を打ち砕こうとする詩人・ヘルマン=ヘッセの自己撞着的な途方もない企みが見えてくるような気もする。
読者の成熟に合わせて読まれ方の変わってくる小説、一生のうちに何度も読み返せるそんなものが数冊あることは幸せなことだ。


 さて。『シッダールタ』についての考察・感想というよりもすっかり個人的な思い出話になってしまったが、個人史を離れた読書体験などないのだからそれもまあ分かってほしい。


 最後に。この『シッダールタ』の作品イメージに繋がるものがヘッセの詩集の中にあったので引用しておきます。       

       無意識的なものから意識的なものへ、

       そこからもどって、多くの小道を通り、

       私たちが無意識的に知っていたものへ、

       そこから無慈悲に突き放されて、

       疑いへ、哲学へと促され、

       私たちは到達する、

       皮肉の第一段階へ。


       それから熱心な観察によって、

       多様な鋭い鏡によって、

       世界軽蔑の冷たい深淵が

       凍える精神錯乱の

       むごい鉄の暴力の中に抱き取る。

       しかしそれは賢明に私たちを連れ戻す、

       認識の狭いすきまを通って

       自己軽蔑の

       甘にがい老年の幸福へ。

      

                  『ヘッセ詩集』 訳:高橋健二

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